#8
『朝と夕』/「足を上げて」と言われて自分の足を上げる/SNSの喧騒と、雪に吸い込まれる言葉
※ 本文はAIによる自動文字起こしをもとに作成し、発言内容を保ったまま一部を整理しています。一部、実際の発言と異なる場合があります。
第8回では、小説の面白さはあらすじだけでは紹介できないのではないかという話から始まります。辻本がヨン・フォッセ『朝と夕』を紹介し、生まれる日と死ぬ日を描く構成、句点のない文章、繰り返される「言った」、戯曲の沈黙やリズムへと話が進みます。さらに、頭の中で音読することと映像を思い浮かべること、主語を省いた会話、数学者の厳密さ、雪に吸い込まれる音のような文章、SNSで刺激を求めることについて話しています。
[オープニングミュージック]
辻本:十月十五日木曜日、えー十五時四十分です。neoコーキョーの辻本達也と。
友田:代わりに読む人の友田とんです。
辻本:えーふくませるラジオは小さな出版社をやりながらエッセイや小説を書いている友田とんと辻本達也が、最近読んだ本の話から始めて、本の外へ出ていくラジオです。毎月第二第四木曜日配信です。感想は#ふくラジでお願いします。じゃあ友田さんよろしくお願いします。
友田:よろしくお願いします。
小説の面白さは、あらすじで紹介できるのか
辻本:このラジオして思ったんですけど。
友田:はい。
辻本:あのー、小説、小説の中でもいろいろあると思うんですけど、
友田:うん。
辻本:小説を紹介するのって難しくないですか?その、ただ例えばし-進化についての本を紹介するのって、
友田:うん。
辻本:話しやすいというか、こういう本ですって。
友田:うんうん。
辻本:小説って、あの、「こういう小説ですよ」って紹介するの難しいなって。
友田:うんうん。
辻本:思ったんですけど。
友田:うんうんうん。
辻本:このあらすじで紹介できない小説。まあまあ、ほ-小説ってそうじゃないですか。
友田:そう。あ、というか、あらすじで紹介できるんだったら小説である必要がない。
辻本:そうそうそう。で、だから、本当はそのあらすじで紹介できない部分を紹介したいんだけど、
友田:うん。
辻本:それは本当は読んでもらうしかないみたいなところがあって。
友田:うん。
辻本:あの、なんていうか、これをやり始めて、それはすごく思ったけど、なんかそういうものを紹介したいなというところも。
友田:なんかそれは、あの非常に手前味噌で恐縮であるのですが、
辻本:はい。
友田:あの、私が十何年か前に思いついた
辻本:はい。
友田:あの『百年の孤独』を代わりに読む本は、まさにあらすじを説明してもし-仕方がないんだけれど、どうやったら小説を読んでいる時のこの面白さが伝えられるかってことを考えて。
辻本:あーそういうことか。
友田:で、何をやったかっていうと、読み進めていった時のそのエピソードとか、その語られ方から連想した他のもののことを説明するっていうことを通じて、何かそれができないかと思ってやった本なんですよね。
辻本:あー面白い。でもまあそれってある種このふくませるラジオでちょっとやってることでもあるのかもしれないってことですね。
友田:なんか、しょ-本を紹介するっていうこと自体が持つ何かその、ことかなと思いますね。その、要するに進化だったら進化のことについては喋れると言いつつ、でもやっぱり読まなきゃわかんないっていうか。
辻本:(笑)そうですね。
友田:読まない、てか、読んでる時にその人の中で何かがお-お-起こらないと意味がないみたいなことが、どんなものでもあるわけですよね。
辻本:はい、はい。
友田:その、それこそその、例えば数学の
辻本:うん。
友田:定理とか、
辻本:うん。
友田:まああるいは証明でもそうですけど、
辻本:うん。
友田:それ自分でやっぱり追いかけてみないと
辻本:はい。
友田:意味ないっていうか、それ-それはわかったっていう、そのわかったとは何かってことでもあると思うんだけど、
辻本:うん。
友田:そういうことが意味、意味がないっていうか、
辻本:はい。
友田:その腑に落ちないみたいな。
辻本:そうですね。
友田:「これが正しいのですよ」って言われて、「これが正しいそうだ」ってことはわか--「正しいと言われている」ってことはわかると思うんだけど、
辻本:うん。
友田:説明でも。
辻本:うんうんうん。
友田:読んでみないことにはわからないっていうのは、「あ、なるほど、そっか、そういうことか」みたいな風にはなかなかならないっていう。
辻本:そうですね。
友田:うん。
辻本:で、僕、今日小説持ってきたんですけど、この、あの。
友田:二回、じゃあ連続小説です。
ヨン・フォッセ『朝と夕』――生まれた日と死ぬ日
辻本:あのヨン・フォッセっていう方の
友田:あーはいはい。
辻本:『朝と夕』という、これ二千、一昨年、二千二十三年にノーベル賞を取ってる方の本で、ヨン・フォッセさんは、あの、戯曲を、
友田:はい。
辻本:劇作家としての作品がおそらく一番多くって。で、でもこれは小説なんですけど、
友田:うん。
辻本:えっと、ノルウェーの方。非常に面白かったので。第一部は主人公が生まれる日のことが書かれていて、第二部は、まあ主人公が亡くなる日のことが書かれてる。
友田:ほう。
辻本:で、それで終わるんですけど。
友田:間はない。
辻本:ないんです。間バッサリない。だから第二部が始まる時には、もうおじいさんとして。
友田:えー、あ、じゃあ結構長生きをして、それの最初と最後。
辻本:そうです、最初と最後。だから赤ちゃんとし-- だから赤ちゃんとして生まれる時なので、別に彼が、
友田:うーん。
辻本:ヨハネスっていうんですけど、ヨハネスが、あの、意識がある状態ではないんですけど、一部は。あの生まれる。
友田:二部は意識あるんですか?
辻本:意識あります、二部は。
友田:あ、そうなんだ。
辻本:彼が動くんです。こう、そうそう。で、あの、内容自体は、それこそその生まれる部と死ぬ二部で、あの、なんていうか、別に突飛なことが起こるわけでもないんですけど。
友田:うん。
辻本:やっぱりなんかすごく語り口がすごい薄味なんですよ。あの、あんまりこう、すごい表現があるわけじゃない。
友田:うん。
辻本:その、同じこと、あの、「何々と彼は言った」の次の文章にまた「何々と彼は言った」とか、
友田:うん。
辻本:そのなんていうか、平凡な表現がずっと続くんだけど、すごい染み込んでくる感じがあるというか。
友田:うんうん。
「言った」が続き、句点のない小説
辻本:そういう小説で。あの、あとあれです、あの、句点がないです。
友田:句点がない。
辻本:なくずっと続いていきますね。
友田:句点って丸です。
辻本:丸の、はい。わからなくなりますよね。
友田:うん。
辻本:そう。
友田:どっちがどっちか。
辻本:どっちかわかんなくなる。
友田:句点が丸。
辻本:なく点、そう。 ないですね。
友田:句点がないっていうのは、その、次の文が。
辻本:うん。
友田:丸がなく、いきなりまた始まる。
辻本:始まります、始まります。
友田:それとも改行があるとかそういうことで。
辻本:改行もありますし、えーと、丸が打たれそうなところは点で、点が打たれます。
友田:あー、そういうのも、まあありますよね。まあまあ、まあまああります。うん。
辻本:まあこういうのも結構戯曲っぽいのかもしれないですね、この点。
友田:うん、うん。
辻本:あの、に-日本の戯曲家でも点でやる人いるし。
友田:うん。丸打っちゃうと終わっちゃいますからね。
辻本:うん。
友田:まあ当たり前。
辻本:息が続いてる感じ、一日が続いてる感じにしたかったのかもしれない。
友田:うん。それこそなんかその、日本語で書いてても、なんか「なんとかはなんとかだし、なんとかなんとかだ、と誰々は言ったんだけれど」とかっていう時の「と」とかの時、別に、まあ「と」だったらあれだけど、なんかその一個一個の文で別に切ってあってもいいけど、
辻本:うん。
友田:ずっと引っ張っていく時とか、点。
辻本:はいはいはい。
友田:でっていうのが。
辻本:ありますよね。
友田:例えば人から聞いた話を書く時に、あの、例えば、うん、こういう時になんかほんと具体的、すごく具体的に言えると一番いいんですけど。
辻本:うんうん。
友田:あ、そうね、だから、例えば人から聞いた話として、なんか「おばあさんは山へ、え、違う、川へ洗濯へ行きました。おじいさんは山へ芝刈りに行きました」。
辻本:うん。
友田:それを、えーと、「誰々から私は聞いたのですけれど」とかって言って、何重にも何重にも、で、それをまた誰々からというのをまた聞いたんですけど、とかっていう時に、あの、あ、で、今言いたかったのは、最初のが文が二文あるじゃないですか。「おばあさんは川へ洗濯に行きました。おじいさんは山へ芝刈りに行きました」と。これ一個一個が文だけど、それを受けて、なんか「それを聞いた私はなんとかで」とかって言おうと思った時に、丸できっと切ってると本当に切れちゃってるから。
辻本:はいはいはい。
友田:そこまで全部点々で打っていくと、そこまで全部受けてる、つながってるみたいに思って、よ-- てか注意が持続した状態で読んでもらえるみたいなことがあるのかなと思うんですけど。まあそのヨン・フォッセがどういう意図で書いてるかはわかんない。
辻本:この人、あの、やっぱノルウェーの人で。
友田:うん。
辻本:あの、僕ノルウェーに行ったことないですけど。
友田:はい。
辻本:何かその風景描写とかではなく、その、何て言うんだろうな、できるだけ少ない言葉で。
友田:うん。
辻本:少ない言葉って言うんではないか。その、は-派手ではない言葉で、凸々と語っていくみたいな、か-書いていくみたいな印象が、なんとなく僕がノルウェーの風景に持っている、
友田:うん。
辻本:その、あまりいろいろなものはなく、
友田:うん。
辻本:あの、白い、で、まあね、これステレオタイプですけど、なんかそういう、こう深々とした感じ。
友田:うん。
辻本:と、なんか、あの、あ-合わさっている感じがあって。そう、なんかたくさんの言葉を使わずに、こんなにこう、こっちに、はい、染み込んでくるものを書けるっていうのがすごくいいなと思って、
友田:うん。
辻本:ましたね、読み終わって。
友田:なるほどね。
辻本:うん。
短い文章が染み込んでくる
友田:染み込んでくるっていうのは。
辻本:うん。
友田:どういう感じ?
辻本:そうですね。なんだろう。まあ例えば、あの、ヨハネスが家で起きて、そのコーヒーを淹れるだけとか、最初の描写って。
友田:はいはい。
辻本:で、それまでに例えばコーヒーを、あの、淹れるかどうかちょっと迷ったり。
友田:うん。
辻本:今日はなんか世界の見え方が違うぞと思ったり。
友田:うーん。
辻本:あと、なんだろう、あの頃、奥さんがまだ生きてた時はこうだったとか思ったり。
友田:うん。
辻本:あと、なんだろうな、「そこに座っていてくれたらよかったのに」とか書いてあるんですけど。
友田:うん。
辻本:その、なんか普通、結構主人公とかが思ってることを長々言われると、長いなって思ったりすること結構ある、あるんですけど。
友田:うん。
辻本:なんかそれが一個ずつ本当に自然にその人が思っていて。
友田:うん。
辻本:うーんと、間に入ってくる、その、その人が見たものとかも。
友田:うん。
辻本:何か、ああ、そうそう。でもやっぱりその晩年の話だから、ちょっと寂しさも含まれつつ書かれていて。
友田:うん。
辻本:で、それがやっぱりこう、うーん、やっぱりこう、その人が生きてる感じを見てるっていう感じなのかもしれないですね。
友田:うーん。
辻本:なんと言ったらいいのかな。やっぱりこう、文章がいいと言うしかないんだけど。それでもその文章がいいっていうのって、普通、なんか美しい文章とか、
友田:うん。
辻本:あの、読みやすい文章とかってあると思うんですけど。
友田:はい。
辻本:割にこう短い文章が。
友田:うん。
辻本:その、何々と思った、何々と思った。
友田:うん。
辻本:何々だった。
友田:なるほど。
辻本:何々働き詰めだった。
友田:うん。
辻本:何々と思い、こういう風に思い。 でもこうだった、でもこうじゃないかと思ったみたいな、そういう書き方なんですよ。
友田:一文一文が結構みじ-- 複雑じゃなくて短い文章でできてる。
辻本:そう。
友田:うん。
辻本:で、それなのにいい感じがするんです。だからいい時にいいことを言っているっていうことなのかな。わかんないけど。(両名笑い)
友田:その、特に何かが起きるわけではない。
辻本:そうですね。
友田:死ぬ、死ぬのは死ぬかもしれない。
辻本:そうです。まあでも起きはするんですけど。釣りに行って、海まで釣りに行って、誰かと友達と会って喋ったりとか、あの、帰ってくる時に、あ、その娘さんが近くに住んでるんですけど、娘さんの家に行って、普通、普通は娘さんいつもいるんだけど今日はいなかったとか。
友田:うん。その逆に前半の生まれた日のことっていうのは、どっちかっていうと生まれた本人はあんま別に意識化して-
辻本:だからお父さん、お母さんが辛そうで、お父さんが、お父さんが大丈夫なんだろうかと思って待っている描写。
友田:あ、お父さんはそのヨハネスの出産の現場にはいない。
辻本:そう、出産の現場に入っていきたいんだけど、あの男が入ってくると呪いがかかるみたいな。
友田:そういうのがある。
辻本:あって、その食卓で待ってるんですよ。で、泣き声が聞こえて入っていくみたいな。
友田:あ、そういうのが描かれる。
辻本:そうです。
友田:うーん、それ、そっちもやっぱり一文一文が短くて。
辻本:短いです。短いです。うん。
友田:染み込んでいく感じなんですか。
辻本:そうです。
友田:うん。その前半、第一部と第二部でなんかこう違う感じみたいなのもあるんですか?
辻本:いや、あんまりないような気がします。どっちも、えっと、えっと、おそらくノルウェーの田舎町なので、えー、そんなにやっぱり裕福ではないんですよね。だから、あの、えっと、お父さん、お父さんはもう幸福だって言ってるんですけど、まあもちろん多分幸福だと思うんですけど、でもやっぱり生活は多分大変だと思うんですよね。だからやっぱりあの、一部もちょっと寂しさみたいのは、あの、何か感じられるものはありつつ続いていくっていう感じ。
友田:全体にちょっと寂しい感じが。
辻本:あります、あります。
友田:っていうことなんですか。
辻本:その暗くはないんですけど、全然。そういう感じですね。
友田:寂しい感じがずっとあるとかはいいですよね。小説を読んでるとなんかね。
辻本:やっぱあの、何々は言った、何々は言ったとかすごい多いんですよ、これ。このページとか、今適当に開いたところでも。「うん、そうだよ」とヨハネスは言った。「届けたか」とペーテルが言った。「そうなのか」とヨハネスが言った。「噂だけどな」とペーテルが言った。「そうか」とヨハネスは言った。「せがれのどっちかだ」とペーテルが言った。
友田:ま、ちょっともう言ったって言いすぎなんじゃないかと思うぐらい言ったって書いてる。で、ここに丸がなくて、ずっと改行なんですね。なんかこれは戯曲っぽいですね。
辻本:そうですね。
友田:うーん。なんかそれこそ、あの、普通、普通にってか、文を書いてて、二人が何か言い合ってる時に、「言った言った」ってなったら、ちょっとどうしようかなって、ちょっと考えますよね。
辻本:思いますよね。というか、「ペーテルが言った」を二回やりますからね。「おいおい、お前も老いぼれたもんだな」とペーテルが言った。「どうしたんだ、ヨハネス」、「おい、ヨハネス」とペーテルが言った。「言った」「思った」もあるもんな。でもないんですよね。
友田:まあだから意識的にやってるっていうことですよね。
辻本:うーん。
友田:なんかそういうのないですか?あの、教科書的にはこういうのはなるだけ避けた方がいいですよとか、こうやった方がいいですよって書いてあって。でもあえてそういうふうにやっているっていう。
辻本:あります、よくあります。結構あるけど、具体的に思い出せないけど。
友田:で、しかも、け-結果的に、その、そのルールを守ることにはあんまり別に意味はなくて、いいかどうかっていうことなんですけど、ルールを守っていればいいかっていうと、それは全くそういうことではないっていうことなんですよね。
辻本:でも、な-なんとなく原則は知ってた方がいいような気も。
友田:あ、そうそうそうそうそう。それはそうです。だから、あの、これ冗長な表現とか、二度繰り返-- だから何回も同じ言葉で言ってたら、こっち変えますか?みたいな。それこそ校正者とかからは-
辻本:ああ。
友田:こっち一方表現変えますか?とか、重なってますけどいいですか?とかって、いっぱいこう鉛筆が入ってきたりするわけでしょう。「いや、これはわかってやってますので大丈夫です」みたいなものもあれば、「あ、確かにここは直しときましょうか」みたいなこともありますよね。
辻本:これ、あの、点、あの、句点がないので思い出したのは。あの佐川京一さんの、あの、『サークルクラッシャー麻紀』って。
友田:はい、ありますね。
辻本:あれないですよね、確か。
友田:あ、本当に?
辻本:あれ確か句点なくてずっと点だった気がします。
友田:あー。
辻本:だからあれ、あ、全然違う、えーと、読み心地、読み心地はって言ったらあれか、えーと、なんて言ったらいいんだろう。その『サークルクラッシャー麻紀』には別に寂しさみたいなものはないし。 あの、もうちょい、あの、ポップで、あの、日常的な話ですけど。あの、疾走、まあ疾走感って言うと違うか。その、うーん。止ま、止まらない感じ?は確かに同じかもしれない。
友田:ああ。
辻本:その疾走感は全然、あのサークルクラッシュはマキの方が、あの読ませようとしてるから。
友田:うん。
辻本:あれなんですけど。
友田:あ、でもその、なんか止まらない感じとか。
辻本:うん。
友田:こうだからあの、何か、あの、なんていうのかな。たい-タイヤっていうか車輪っていうか。
辻本:うんうんうんうん。
友田:あるいはその、なんか、なんか回転してるものが、えん-- ずっと運動を続けてる感じみたいな。
辻本:はい。
友田:コマを回すっていうか。
辻本:はい。
友田:みたいなのは、ありますよね。
辻本:はい。
友田:で、それをどうやってそれを起こしてるかっていうのが、それこそ、あの、反復によって、だから言ったっていうのをとにかく反復し続けることで、そういう感じが出てくるのもあるし、あの、丸を打たないことによって、次々ってこう行くのもあるし、なんかかかり受けっていうか、あの、常に一個前の分の何かを受けて前に進んでいくことで先へ先へ行くのもあるし、なんかいろんな方法がありますよね。
文章の反復と、戯曲の「間」
辻本:あ、でも確かにその通りで、ヨン・フォッセさんは、その戯曲を書いてるので、あの、何かのインタビュー、ヨン・フォッセのインタビューで読んだんですけど、その戯曲の時は、この沈黙を作りたい時は、「間」、あの、「間」、間って書いとけば、そこの間は、あの沈黙になる。
友田:ああ。
辻本:その戯曲のところに-
友田:上演する時ですね。
辻本:...「間」って書いとけば、沈黙になる。で、それを、その小説でやるにはどうしたらいいかっていうのを結構考えてるって。
友田:ああ、なるほど。
辻本:書いてて。でもそれは多分繰り返すとか、そういうのがあるのかもしれないです。だから同じような沈黙ではないけど。
友田:うん。
辻本:その、同じような体験をしてもらうためにっていう。
友田:なんかそれはすごくよくわかりますよね。その、ここ、ここの言った直後、次、言葉を発する前の間に、何秒とか、まあ時間がちょっと間が空くんだっていう時の、そこに何かをやっぱり書かないといけないっていうか。
辻本:はい。
友田:いきなり次の言葉が、だからカギ括弧の次の行にいきなりまたカギ括弧書いてあると、ここがあの、遅延ゼロで次が始まってしまうから、なんかそこで何か思ったなのか、何か動作とか。
辻本:うん。
友田:こう例えばこう、こうって今僕口で、あの、動作だけしたんだけど、こう、「目を上げる」ととか。
辻本:はいはいはいはいはい。
友田:なんかこう、因-因-時間的な因果関係のあるものを、があると、遅延してくれるから、とか。
辻本:うん。
友田:な-なんかが無いと。
辻本:うん。
友田:空行では、空行だとちょっと全然違う。
辻本:そうそう、違いますよね。読まれちゃいますもんね。
友田:うん。
辻本:うん。
友田:まあそうですよね。それはそこの空白っていうか。で、実際読んでる方も、その一行を目で追う、追って意味を理解するのに、やっぱり一秒なら一秒とか二秒とか遅れるから。
辻本:うんうんうん。
友田:じ-- リアルタイムにちゃんと遅延がそこで作れるっていうのはあると思うんですよね。
辻本:うん。
友田:うん。なんかここに一文欲しいみたいな時ある、ありますよね。その、何か場面を書いてたら。
辻本:僕だから戯曲家の人が書くものは結構好きなのかもしれないです。だから日本でもあの岡田、チェルフィッチュの岡田さんとか、あのマ-マムとジプシーの藤田さんとかも、あの、小説の、小説とかエッセイとかの読み心地とかすごい好きなんで。
友田:うん。
辻本:でもああいうのって何なんですか。まあでもやっぱり、あの、あれもそうですよね、ベケットとかもそうだけど。
友田:うん。
辻本:やっぱりそれぞれの人って、まあ全然違うけど、何か-
友田:共通するところがある。
辻本:...共通するものがあると感じます、僕は。
ベケットと、ポケットの石をしゃぶる人
友田:ベケットも?
辻本:あ、ベケット、そう、ベケット、ベケットとヨン・フォッセは、その、えーと、ぶつ切りな感じが似てると思います。
友田:ああ。はあ。ああ、それは、あの、なんだっけ、ベケットの、えっと(笑)、あの、しょ-小説。
辻本:あの三部作のやつとかはすごく近い感じがする。
友田:えっと、今その三部作の最初の名前を言おうと思って。
辻本:え、なんだっけ。僕もさっきそれ覚えてたんですけど。も、じゃなかったっけ?三文字ですよね。
友田:『モロイ』。
辻本:あ、そうそうそう、『モロイ』。
友田:すごい、こうやったら出てくる。
辻本:手でポンポンとやって。
友田:せ-背が今、背表紙が見えてたから。
辻本:あれかっこいい本ですよね。
友田:はい。
辻本:『モロイ』。
友田:『モロイ』とか『名付けぬもの』とか。
辻本:僕は『モロイ』も好きなんで。
友田:『モロイ』の、あの、いやまあ何だかよくわかんない話ですけど。
辻本:よくわかんない、全くわかんないです。
友田:なんか石をポケットに入れて、それをポケットから出して、しゃぶって反対のポケットに入れるみたいなことをぐるぐる、こう運動、ぐるぐるぐるぐるやって。何の話をしてるのかなって(笑)。
辻本:しかも次行ったらなんか別にその話じゃなかったりして。
友田:うん。自転車で。
辻本:うん、あれも何かその、落語家じゃないけど。
友田:うん。
辻本:落語家って、その- あのリズムで笑わせてるところあると思うんですよ。あれとやっぱりちょっと似ていて。
友田:うん。
辻本:ヨン・フォッセもベケットもその面白さをその文章それ自体で出してるというか。
友田:うん。
辻本:その内容ももちろんいいんだけど、その語り口によって面白くしているっていうところがある気がするんですよ。
友田:それは理想的ですよね。そうありたいと思う。その内容とか、こうテーマとかで面白がらせるってことではなくて、書いてあることは全く意味はないんだけど、なんか読み進めていって笑い出してしまうみたいな。ことは。
辻本:ヨン・フォッセはその自分の語り口とその、な-何かおそらく僕他の作品読んだことないけど、このなんか切なさとか寂しさみたいなものと、彼の語り口はすごく、
友田:うん。
辻本:あのフィットしてるような感じがしますね。
友田:いいですね。
辻本:うん。だからその戯曲家って多分そのリズムを扱う、普段から時間を扱ってると思うんですよね。で、それをそのさっきのヨン・フォッセの間の話じゃないけど、多分その読んでる時と、多分別に音読して書いてるわけじゃない気がするんだけど、この人たちは。でも何かその読んでる人の時間をリズムでそのうまくコントロールして、コントロールというか、時間を作っているところがあるような気がします。
友田:え、戯曲書いてる人って音読して書いてないんですか?
辻本:どうなんですかね。でも例えばヨン・フォッセは別にこれ訳されてるじゃないですか。
友田:ああ、そうですね。
辻本:であのもちろんあの僕、あの藤田さん、あの『マームとジプシー』に僕五年ぐらい関わってたから見てるけど、え、あの読ませてめっちゃ書いてますね、藤田さんは。その、
友田:あ、そうなんですね。
俳優が読むたびに書き直す戯曲
辻本:書いてる、目の前で書くんで。目の前でカタカタカタカタ書いて、で、そこで印刷して、「これじゃあ今読んでみて」って言われて読んで。で、次の、で、その時にもう書き直してて、で、また印刷して、「これ読んで」って言われるっていう。
友田:すご。
辻本:やり方をしてる時もあります。
友田:うーん。なんかそれこそ全然違う例ですけど、あの宮崎駿とかも、なんか、コン、絵コンテ描きながら自分で動きやってみたり、喋ってストップウォッチで、まああれは最後アウトプットがアニメーションだからってのあるけど、ストップウォッチで測ってますよね。
辻本:ああ、なんか見たことありますね、それな。
友田:なんかそれで「ここをもうコンマ何秒詰めて」みたいなとか、言い方変えたりとかしてやって。
辻本:コンマでわかるってことですよね。その自分の動きと。
友田:うん。体感っていうか、なんか。そういうやり方もあるし。あと小説家でも結構日本人の小説家でも音読してるって、音読して書いてるっていう。あの、小山田浩子さんに前お話を伺った時に、「基本全部音読してる」って。
辻本:友田さんはどうですか?
声に出して読むこと、頭の中で読むこと
友田:最近音読してないです。
辻本:あ、そうですか。
友田:前は音読してる時もあった。いや、なんか音読した方がいいのかなと思った時もあったんだけど。いや、逆にね、なんか書いた文章で頭で読めば、そのー、てか音読できるように読めるんだけど、音読してみたら音読できないとかの方が面白くないですか?ちょっとそれ言ってる意味伝わります?
辻本:あ、音読っていうのは頭で音読するのと口で音読するのがあるってことですか?今の。
友田:うん。正確には頭で音読はしてないと思うんだけど。喋ってるような感じがするのに口に出して言ってみたらなんか変とか。
辻本:へー。
友田:その方が、それって面白く、それができたとしたら面白くないですか?
辻本:面白いと思います。
友田:つまりそれって音読したら音読できるってことは、音読に合わせてるっていうことですよね。
辻本:うん。
友田:音読っていうメディ-メディアっていうか。
辻本:そうですね。
友田:だから、脳内では音読が起きてたような感じがするのに、読み上げようとするとおかしいっていうのは、があったら面白いなと思うんですけど、別にそれができてるっていうことを私は言ってるわけではないんですが。でも一つの方法としては、きちんと音読して書くみたいなのもあるし、ある時期には私もそういうふうにやってたんですけど、今はあんまりそういうことはやってないし、なんか読む時にも、なんか、てか音読できる、音読的に読むと遅くなるんですよね、私、読むのが。
辻本:それはそうですよね。それはそうなります。
友田:かといって、早口で読んでるようにも読みたくないから、そうすると、あえて音読を意識しない、音読っていうか、その、それを意識しないで読むみたいなこともあるんですよね。
辻本:ああ。そうか。
友田:読み上げるリズムとはまた違うリズムもあるっていうことかもしれないけど。
辻本:そうですね。
友田:うん。
辻本:音で、そこが面白いところで、人がどう読んでるかってやっぱりわからないから、聞くと面白いなと思います。
友田:どうやって読んでるんですか?
辻本:僕はね、結構 えーと、頭で音にしてる時間は結構の方が多いと思います。だからその友田さんが言うその、音読しないで読む方が早いというのはわかるんだけど、それでいくと、あの、うまく入ってこない、きづらい時が。
友田:それもわかりますね。
辻本:多いので、結構あの音のスピードで読むことが多いですかね。
頭の中に声が聞こえる/映像が流れる
友田:あの、この間から、あの小松正雄のインタビューとか、あと糸子医師の、あの振り返ってる本とか、聞き書きの本とか読んでたんですけど、こういうのは、あの、ちゃんとゆっくり読むと、脳内でちゃんとその人の声とか声色で自動再生されるので、そういうのはちゃんと普通に読みますけど。でもこれも不思議な話だなと思いますけどね。なんで脳内で、例えば糸子医師の、糸子医師の子医師かな、子医師が語ってるんですけど、子医師の声がなんでちゃんと聞こえるのか。
辻本:あれ不思議ですよね。
友田:しかも聞こえるってどういうことなのかっていうことでもある。だって聞こえては耳には聞こえてないわけじゃないですか。なんかその、そもそも黙読っていうのってできてからそんなに時間が経ってないんですよね。
辻本:あーはいはいはい。そのみんな音読してたってこと。
友田:うん。だから黙読できるようになったっていうところに何かこう、ちょっと変化、大きな革命的なものがある。
辻本:うーん。
友田:そうなんですけど。
辻本:そう、だから僕、人ってどれくらいその頭で、頭の中で音読せずに、それを何て呼ぶのかがわかんないけど、音読せずに読んでいる人がいて、その人の中でもどれくらいの比率を頭の中で音読せずに読んでるのかっていうのは結構気になるんですよね。
友田:いや、どうなのか。なんかその、音読とは違うけど。その全部ちゃんとシーケンシャルに逐次的に読んでいくっていうのは、私は割とそうですけど。その、だからほんと人によっていろいろで、小説だと読んでると勝手に映像が再生されるという人もいますよね。
辻本:いや、だからそれすごいよな。
友田:生成AIみたいなことだと思うんですけど、頭が。
辻本:うんうんうんうん。その、何かそれこそその漢字みたいなもので、そのある塊が映像に変換されるってことですよね。
友田:だと思いますけど。
辻本:まあでもあり得ると思うけど。僕は得意じゃないな、それ。
友田:私も全く映像とかないですけど。まあもちろんパッと何か風景が思い浮かぶとかはありますよ。何か文章を読んでた時に、パッと何か景色みたいなのがあるみたいなのがあるけど、その逐一、映像化みたいな。
辻本:そうそうそう。でもこれはその第、その一回前の第七回の最後の方で話した、あの道の印象とか、あの女の子が違うと思ったとか、それ違うと思ったってことは、普段の感じと今日の数学者がたくさん乗ってる感じが違うをどっちもわかるってことだと思うんですよ。で、僕は結構その感じで読んでる傾向が強いと思います。その、その風景がバーって出てくるわけではなく、その文章から受ける印象というか、例えば花瓶って書かれてても、花瓶がバーって出てくるわけじゃなくて、花瓶の感じが出てきて、それがこうひゅんひゅんひゅんって移り変わっていくみたいな。
友田:あ、そうですか。
辻本:感じです、僕は。その特にその、絵、何て言うんですか?小説とかの。そうですね、そんな感じ。
友田:私は何なんだろうね。なんか。ほとんど花瓶って書いてあったら花瓶って書いてあるっていう感じなの。
辻本:おお。
友田:で、なんかそこからどういうことかとか、像、像っていうかイメージとか感じを作ろうと思ったら、この辺になんかちょっともう力を入れないと。この辺って言ってるのは、えっと、これおでこに。これ前頭葉ですか?これ。
辻本:前頭葉というか、前の方です。
友田:頭、おでこの上の方にグッとなんか力を入れてないとそういう風にできないみたいな。
辻本:そう、しかも一回やったら掴み続けなきゃいけないじゃないですか。
友田:そうですね。
辻本:そこからが大変なんだよな。その、なんか例えばミステリーとかって部屋がこうで、こっちにこうあって、人がこう入ってきてみたいなのがあると思うんですけど、あれがすごく大変で。その、で、あと、まあ最初の方にイラストとかです。あの建物の地図とか描いてくれてるとやりやすいんですけど、描いてない時とか、どこにどう部屋がつながってるのかとかがわからないというか、もうはなから僕は無理だと思ってるから、気にせず読むんですけど。
友田:なんかね、ゆっくり読んでもよくわかんない時とか。 ありますよね。子供の時とかほとんど何書いてあるかよくわかんなかったけど、今でもこれなんか左手をなんとかやってなんとかやってなんとかやったからなんとかなってみたいな。え、これ結局何やってんだっけ?みたいなのもあるし。あとなんかね、そうだ、その、これは別に小説に限らなくて、日常生活でもそうなんですけど、なんかね、何でも起こると思って読んでるから、ものすごい読むのに時間かかるんですよ。
辻本:ああ。
友田:なんかその表現って結構省略してるわけじゃないですか。
辻本:そうです、そうです。
友田:で、だから例えば主語が欠けてたとしても、それは流れで、それはこの人でしょみたいな。っていうか、あるいはすでに出てきてるこの人、この人に決まってるじゃないみたいに思うわけだけど、なんとなく私はそう思って読んでない。
辻本:あー。
友田:気配があるんですよ。だから、なんかこれってどういうことなんだろうとかってしょっちゅう詰まっちゃって。
辻本:はいはいはい。
友田:わかるとわかりますよ。一旦わかっちゃうと、あ、そうかそうか、確かにそれはそうじゃないとおかしいよなって思ってわかるんだけど、最初わかんないんですよ。それは何でわかんないんだろうと思って前は気にしてたんだけど、もっとありとあらゆることがここでは起こりうるって思ってるから、守備範囲を広げすぎちゃってて、この中のどれかなんだけど、どれかわかんないと思ってるんだけど、いや、それは最初からここにちゃんとスコープ絞ってればこれでしょってなるみたいな。これも具体例が言えるといいんだけど。
「足を上げて」と言われて自分の足を上げる
辻本:あの、僕介助で、あの、高齢の方の手伝いに行っていて、あの右足がちょっと不自由なので、あの足をその車椅子から横に出ちゃったので、車椅子のフットレストに乗せてくれと。で、これその人と僕が仲いいから起きる話なんですけど、あの、じゃああの足上げてくれって言われた時に、僕が右足を上げて、あの、それで二人で笑うっていうのがあるんですけど。
友田:ああ、なるほど。
辻本:で、これっぽいことですよね。多分そのさっきの話だと、まあ明らかにその介助相手が主語じゃないですか。俺の足を上げてくれなんだけど、足を上げてくれしか言ってないから、じゃあ僕が足上げますよっていうことなんですけど。
友田:うん。
辻本:そういうことじゃない。
友田:そういうこと、そういうこと。それこそだから、例えば誰々がなんかこの間なんとか言って、どことどこ行ってこんなことがあって、そしたらこんなことを言われたのみたいなことを言った時に、え?誰が?って言うんですよ。私は必ず質問、結構質問しちゃう。まあさすがに全部は質問しないから。とか、その支障がなければ質問しないから。だけど誰だろうなと思ってて、もうちょっと続きまで聞いていくと、あ、そうかそうか、それはそう、この人なんだなってわかるけど、その突然今まで登場してない誰かが出てくるかもしんないと思って聞いて。
辻本:たまにありますしね、そういう時も。
友田:あります。で、そのミステリーとかだと、その隠されてるものとかがあったりするわけね。だからそれはそういうことは全然起こりうるんだけど。でもそれを普段からなんか。
辻本:やる傾向があるってことですね。
友田:そう。だからそれで結構詰まります。
辻本:ああ。
友田:みたいなことはありますけどね。
辻本:でも気づいてないだけであるのかもしれない。(笑)
友田:いや、そのなんか結構その言語表現って面白いなと思って。その全部は見えないわけですよ。その視覚表現、映像表現みたいに、とりあえず全部写しとくみたいなことはできないから、言ったことしかないし、言ったことしか伝えられないわけですよね。で、そうするといっぱい穴が開いてるから。
辻本:そう。
友田:穴が開いてるところの話がまた出てきてるかもしれないと思ってる。
辻本:穴を開けずに書いたら本当につまんなくなりますよね。さっきのその友田さんのように、全部主語とその照応学とか全部入れて書いていくこと。でもそれはそれで逆に面白いのかもしれないけど。
友田:法律の条文みたいなことになるわけですよね。
辻本:あ、そうですそうです。
友田:漏れないように書くみたいな。
辻本:うん。
友田:で、なんなら余計には言わずに必要なことは漏れないように全部言うみたいなことだと思うけど。うん。なんでしょうね。でも何かなと思って。これは数学をやってるってこととはまたちょっと違うような気はしてるんですけどね。よく数学の人は厳密性をとかって言うけど。
辻本:聞きますよね。
数学者の厳密さと、ルートを外れること
友田:あれはまたちょっと違うんだよなと思って聞いてるんです。
辻本:そうなんですか。
友田:その証明してみせる時に厳密だっていうことですよね。
辻本:だから極めて厳密になることもできるっていうこと。
友田:そう、まさにその通りで、求められればどこまででも厳密にできるっていう姿勢と。
辻本:でもできないと困りますよね、逆に言えば。
友田:でもね、逆に言えば、なんか分かってないことをこれから証明してみせようとか、証明どうやったらできるんだろうって言って試みてる時に、厳密だけではできないんですよ。
辻本:ああ。
友田:というか、厳密だけではできないというか、厳密だとできないですよ。
辻本:それは何かひらめき的なことが必要ってことですか?
友田:いや、その一旦厳密性を置き、脇に置いてでも、何かを考えてみるみたいなことができない人には、数学は僕はできないと。
辻本:うんうん。
友田:そこがだから世の中に流布してる数学やってる人のイメージとかなり乖離してる。
辻本:うんうん。
友田:その答えが決まってるものを解ける人は厳密性だけでいけるかもしれない。
辻本:でもそれってあれですよね。なんか前もちょっと話した気がするけど、やっぱりこう厳密性っていうのはやっぱりルールの世界というか。
友田:うん。
辻本:AならBになるでしょう。
友田:うん。
辻本:こういう時はここへやってはいけませんみたいな。さっきのその紋切り型の話じゃないですけど。
友田:うん。
辻本:その「こうするもんだ」みたいなものが強いと、やっぱり難しいような気がしてきました、今確かに。
友田:あ、そうね。だからルートから離れられないっていうか。
辻本:そうですね、バリですね。
友田:あ、そう、バリ。前々回の話言うと、バリ、バリの話。あ、前々回か。バリの話になりますけど、とかく数学の人は論理的って言われますよね。
辻本:はい。
友田:だけど全く論理的とはちょ、ま、それはみんな多分数学者とかに会ったことないからだと思う。
辻本:はいはい、そうですね。
友田:普通の人、数学者に会わずに、ま、会ってるけど、数学者の側面を知らずに、例えばね、お店やってたらお客さんとして来てるかもしれないけど。
辻本:そうですね。
友田:とか、なんかね、例えば、ま、会ってると思うんだけど、それなりの数いるので、世の中に。けど、その側面を知らずに通り過ぎてる、気づかないんだけど。
辻本:うん。
友田:とても論理的では片付けられないものが多い。
辻本:そうなんですね。
友田:ような気がしますね。でも今日結構意外でしたね。ヨン・フォッセの小説が来るというのは。
辻本:ああ、そうですか。
友田:何が来るかなと思って。前回「小説はでも読むのは大事だよね」みたいな話をしてたから、また小説を持っていこうかみたいな気持ちが私にもあったような気もするんですけど。
辻本:はい。でも面白いですよね、これ持ってくんの。
友田:面白い。しかもこの本は知りませんでしたね。最近の本ですか?
辻本:これね、二千、でもこれあれです、書かれたのは二千年だった気がします。書かれたの二千年で、出たのは二千二十四年です。確かこの人はノーベル賞の時には出てなかったんです。ノーベル賞が二千二十三年で、
友田:あ、そうですか。
辻本:ノーベル賞の後に日本では出て。
友田:ヨン・フォッセ、ノーベル賞もらったの二千二十三年?もうそこから三年も経ってるんですか。
辻本:そうですね。
友田:あ、そっか。でも間に『半顔』とかも。
辻本:『半顔』、そう、『半顔』と。
友田:うん。そっか、それでなんかさっきあれですよね、その小説を、それ最初言ってたんでしたっけ?小説を紹介するっていうのは。
辻本:ああ、そうそうそうそうそう。
友田:なんかこう、難しいよねみたいな。
辻本:そう、この読み味が伝えたいんだけど、すごい難しいなと思う、たという、思いながら持ってきました。
友田:うーん、ま、読んでくれっていう。
辻本:うん。
友田:しかないってことなんですかね。
辻本:うん。
友田:なんだろう。でもなんか、でも今日結構いろいろその特徴、だから特徴を言うしかないっていうことはあると思うんですけど。
辻本:そうですね。
友田:短い文で。
辻本:そうですね、短い文で。
友田:言った言った言った言ったって続いてくとか。
辻本:うん。
友田:句点がない。
辻本:そうですね。
友田:で、なんかその、続いていく感じがするとかね。
辻本:続いていく感じがある、うん。
友田:とか、染み込んでくって、染み込んでくがどんな感じなのかとか。でもなんかそれはわかります。その筋以外のことを紹介。あと、あとその、なんか、筋っていうか、どういうお話かっていうことと、その語り方っていうのが別に独立してるわけじゃなくて。
辻本:はい。
友田:本当はうまくチョイスされてた方がいいわけですよね。
辻本:うん、そうですね。
友田:その描こうとしてるお話だったり、世界と、なんかその語り方がフィットしてるなっていう方が。
辻本:そうです、そうです。すごいフィットしてると思う。あ、あと思うのは、さっきそのノルウェーの風景っぽいって言ったのは。
友田:はい。
雪に吸い込まれる音と、静かな文章
辻本:もう一つあって、な-何かその雪が周りにあると、音が染み込んでいくじゃないですか、雪に。
友田:はいはい。
辻本:あの静かさと音が染み込んでいく感じっていうのと、音が染み込んでいく、音が、えーっと、反響しづらいからちょっと寂しいみたいな。
友田:うーん。
辻本:あの感じもすごいある気がする。
友田:それは今なんかすごいしっくりきましたね、最後に。
辻本:うん、最初に言いたかった。
友田:いやいや、でもこうやって喋っていくうちにそういうのが出ると思うんですけど。いや、なんかね、そしてそれが今、これがいいっていうのもなんかちょっとわかる気がする。
辻本:うん。
友田:それは何かっていうと、その雪に音が吸収されちゃって、跳ね返ってこないみたいなのって、まあこれちょっとこじつけですけど。
辻本:はい。
友田:あの、なんかネットの逆じゃないですか。
辻本:ああ、そうですね。
友田:ザワザワザワザワしてて、何やっても反響してるみたいなのの逆なんじゃないかなと思って、今聞いてて。
辻本:そう。で、その文章自体が、に飾り気がないっていうのも、それ-それをまた大きく、うん、あのうまい方向に持っていってる気がして。その、やっぱり演出がやっぱりないんですよね。ヨン・フォッセのこの文章って。その、「言った、で、また言った」っていうのって、その、なんていうか、な-何かを、し、まあ逆に言えば回り回ってすごいやろうとしてるのかもしれないけど。
友田:それもそうですね。
辻本:その、感じられないっていうか、その、む-無色な感じがする感じを逆に演出してるのかもしれないけど。
友田:うん。
辻本:その、し-静かな感じがやっぱり文章から受ける印象がありますね。
友田:ああ、なるほど。いや、なんかちょっと喋っていて、なんとなくこのヨン・フォッセが- えっとわかってき-- まあわかるっていうとあれだけど。
辻本:でも読んでみたら全然違うかもしれないですけどね。(笑)
友田:まあそれはそれでね、それはね、いいことですよね。うーん、なるほどなあ。
辻本:だからそれがその、多分この、あの、結構特にこの本で、この本で評価され、まあ他の戯曲のたくさんの、あの革新的な戯曲をっていうのもあるんですけど、結構特にこれ作品で受賞したみたいなので。
友田:うーん。
辻本:なんかそのスタイルと。
友田:はいはい。
辻本:書くことが合っていたのかもしれないですね。
SNSの喧騒と、刺激を求め続けること
友田:いいですね。なんかその最近、あれ、これ、これは辻本さんと話したのかな。いや、違う人と喋ったのかもしんないけど。あの、いやなんかみんなやっぱちょっと刺激、過多っていうか、刺激依存なんですよね、今ね。
辻本:そうですね、うん。
友田:で、ちょっと最近私は朝事務所に来たら、まず来たらスマホの電源を落とすんですけど。(笑)で、そうすると、あの、ちょっとやっぱこう、なんかやってて集中が途切れた時に、ちょっとスマホ触りたくなっても電源入れるのに時間がかかるんで見れないんですよね。で、でもそれって結局どういうことかっていうと、せっかく何かに集中してるのに、集中が途切れてくると、何か刺激を求めてるっていうか。
辻本:うん。
友田:集中、集中してるのに、が十分面白いはずなのに、なんでわざわざ外部の刺激を必要としているのかっていうので考えると、なんか恒常的にやっぱり刺激が、なんか強い刺激を求めてるんだと思うんですよね。
辻本:うん。
友田:だから、これって昔はこんなことなかったはずなんだなって思う。
辻本:そうですね。なんかこう、し-閾値がどんどん上がってるっていうか、その欲しいものが、刺激がずっと高止まりしてて、それを超えてこないといけないみたいな。
友田:だから、あの、今もうほんとSNSなんかは日々ずっと喧嘩してんじゃないですか。揉めてんじゃないですか。その具体的なのは別にいいとしても、日々ネタに欠かさずとにかく揉めてて、やっぱ揉めたいんだなと思って。
辻本:揉めたいんでしょうねえ。
友田:で、それは究極的にはやっぱり刺激を求めてるっていう。
辻本:まあそういうことか。うん。
友田:思って。
辻本:路上で喧嘩できないから。(笑)
友田:そうそう。だからファイトクラブです。
辻本:そういうことですよね。(笑)
友田:と思うと、なんかむしろやるべきことは結局やっぱそこにはないなって思って。むしろそのスマホに手を伸ばしたくなっても、手元のそのやってることにやっぱ集中して取り組むしかないっていうか。
辻本:そうか、確かにな。
友田:もちろんそれがなんか一人で閉じこもってればいいってことでは全くないと思うんですけど。かといって、その、こう揉めてるところに行くってことでもないんだろうなと。
辻本:それはそうですね。
友田:うん。っていうのを思って。だからその、なんかちょっと静かな、ゆっくりと進んでいくようなものを読むみたいな。
辻本:うん、うん、うん、うん。
友田:ことも大事だなと。まあ大事っていうか、いやむしろそれがいいっていう。
辻本:そうですね。
友田:ことだと思うんですけど。うん。
辻本:まあでも確かにそういう本かもしれないです。確かに。
友田:まあ書いた本人はね、全然違うかもしれないです。
辻本:そうですね。
友田:またそれとは違うつもりで書いてるかもしれないけど。はい。
辻本:はい。じゃあ今日は、ヨン・フォッセの『朝と夕』を紹介しました。皆さんも読んでみてください。
友田:読んでみてください。
辻本:では、な-な-何もないですか?
友田:はい、何もない。何もないですって言えばいいんだけど。はい、大丈夫です。
辻本:では、今日はこれで。ありがとうございました。
友田:ありがとうございました。